この作品が制作されたのは、
[フォト・デッサン]集「眠りの理由」を刊行した昭和11年、
[瑛九]25歳の時である。
[瑛九]はこれまでに多くの公募展に出品することがことごとく落選する。この間、
[瑛九]は自己をみつめ制作について思索し悩んだ。
[山田光春]あての手紙のなかに「ハチきれるゼツボウ感でキャンバスをたたこう。ゼツボウが出発だ」と述べている。この時期、
[瑛九]は様々な表現技法を試みている。この作品は、赤、紺、黄などの線や丸は、直接絵具のチューブをつまみながら描いたあとが見られ、また、黄の絵具のうえにはスタンプしたような跡が残っている。生涯を通して様々な表現への挑戦を続けた
[瑛九]の精神をかいまみることのできる作品である。