昭和27年は
瑛九にとって制作活動の拠点となる埼玉県浦和市本太に居を構えた年であった。
瑛九は、前年に宮崎から移転してきたが、作家として安定した環境の中で制作ができる家を探していた。「愛の家」と題されたこの作品は、このような
瑛九の心中を表したように思える。葉を蓄え巣作りにはげむ小鳥の様に男女が寄り添う。その周りには町並み、並木、人影が配され、大地は線の交差で安定感と奥行きが描き出されている。そして、窓のように切り取られた空間には安定した生活を願う
瑛九の気持ちが託されているかのようである。この時期、同じテーマの作品を
フォト・デッサンでも多数制作しており、家庭生活が充実していたことがうかがえる。