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谷村計介旧宅
 ( たにむらけいすけきゅうたく )

指定者
種別 史跡
指定年月日 S8.12.5
所在地 宮崎市糸原字下馬場
 谷村計介は嘉永6年(1853)倉岡村(現宮崎市大字糸原)の郷士の家に生まれ、後に谷村家の養子となった。明治政府の軍人として、明治7(1874)年の佐賀の乱、明治9(1876)年の神風連の乱、そして明治10(1877)年の西南戦争と活躍した。特に西南戦争時には、熊本城に軍を構えていた政府軍が薩摩軍の包囲を受け、落城寸前の時に当時陸軍伍長であった谷村計介は、薩摩軍の間を抜け、城外にいた政府軍との連絡を果たし、城の危機を救ったが、後の田原坂の戦いにおいて戦死しました。幾多の危機をくぐり抜けた谷村計介の勇気ある行動は、長く軍の手本とされ、宮崎神宮の一の鳥居あたりに銅像が建てられたが、今はありません。旧宅跡は現在、「贈従五位陸軍伍長谷村計介誕生の地」と書かれた石碑と墓があります。

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