赤いえりに、すそを引く長い着物をたくしあげ、ぽっくり下駄をはいた舞妓の姿である。着物の柄とあわせた牡丹の花かんざしが愛らしい。玉城は
[美人画]を得意とした。しかし、今のように
[美人画]が世に認められ始めたのは、明治も後半になってからである。それでもまだ大正4年の
[文展]では、一室に集められた
[美人画]に対し、評論家から低級であるという悪評が浴びせられた。玉城や、
[伊東深水]の絵も展示されていた。このとき、玉城は「かのこやの娘」で褒賞を受賞していた。時代の流れに逆らうように一時期
[文展]は
[美人画]を排斥するが、やがて
[美人画]は
[日本画]の重要な画題の一つとなっていく。