[河北倫明]は、「
[須田国太郎]は単なる頭だけの学者でなく、単なる手と感覚だけの画家でもなかった。誠実な画家であるとともに博大な素養をもった学者でもあった。」と語っている。須田は学者として西洋と東洋の絵画を研究し、生涯を通して西洋の模倣でない日本の絵画をめざした画家であった。須田は昭和24年と25年の2回県展(現宮
[日展])の審査員として宮崎を訪れており、この作品はその時描かれたものである。画面には、宮崎市郊外の青島からやや南に位置する折生迫漁港と家々、そしてそこから望んだ青島方面が描かれ、光と影の様子を色の階調で表している。その色調によって、西日を浴びた冬枯れの景色が表されている。