鱸は昭和5年にフランスに留学しているが、その時のようすを「画壇では
[ルノアール]、
[ボナール]、
[ピカソ]、
[ブラック]等
[印象派]以後の新しい傾向の絵がもてはやされていたが、私はそれよりもむしろクラシックなものにひかれた。特に
[コロー]の作品には自然観照に東洋的な風趣を感じ深く興味を覚え、ルーブルで三か月その模写に専念した。」と語っている。鱸の作品の中にも、自然をみつめる純粋でするどい観察眼が宿っている。この作品は鹿児島の山間地をスケッチし制作されたものであるが、眼下に広がる山の中腹に開墾された畑からは、土を耕し自然の恩恵を受けて生きる人間の営みをかいま見ることができる。それは、まわりの自然に違和感なくとけこみ、時間がとまったように感じられる。