山口の作品には、昭和25年頃から黒い画面に黄土色や赤茶色で、円形や単純な棒状の形が描かれるようになる。この作品の描かれた昭和56年頃には、画面のほとんどが黄土色か赤茶色のどちらかで覆(おお)われ、
ペインティングナイフで重厚な
マティエールが作り出されている。山口は、晩年まで一貫して使われたこの黄土色と赤茶色について、「赤っぽい茶ですがこれは朝鮮の色、もう一方の白っぽい茶は中国の黄土色です。ボクは大体茶系統の性格だと思うのですが、これは体質とか気質と関連があるかもしれません」と述べている。山口は韓国で生まれ一時期を過ごした。慣れ親しんだ場所から感じた色が、自然と作品にも表れている。