詳細

僧日講遺跡

 ( そうにっこういせき )

指定者
種別 史跡
指定年月日 S17.6.23
所在地 宮崎市佐土原町大字上田島字新山
 僧日講遺跡とは、日蓮宗の僧である日講の墓のことである。佐土原城跡の南に位置する小高い丘に無縫塔や石碑が建立されている。
 日講は江戸時代前期の人物で、妙国寺日奥上人創唱の不受不施(日蓮宗以外の布施を授受しないという主義主張)の思想を学び、後に日蓮宗から不受不施日蓮講門宗と分派した。
 江戸幕府による不受不施の教えの禁止・弾圧策に抗議した日講は、寛文6年(1666年)に佐土原藩預けとなり、同地に配流された。しかし、藩主島津忠高は日講の学識の深さや人間性を敬い、野久尾に居を与えて住まわせた。
  日講は佐土原配流後、元禄11年(1698年)に73歳で没するまで間、同藩の学問興隆の推進役を果たし、藩政改革にも影響を与えたと言われている。日講の代表的大著である「録内啓蒙(ろくないけいもう)」は日蓮宗の入門書と知られ、佐土原在住33年間の日記である「説黙日課」は重要な歴史資料である。

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