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国見ケ丘   ( くにみがおか )

神武の孫のタケイワタツノミコトが阿蘇へ向かう途中に、この丘から四方を眺めたので、この地名となったと伝わる。 

押方から西に入り、車で10分ほど上った丘の上である。眺めは最高で、阿蘇連山、三田井の町など一望できる。初冬は、運が良ければ、雲海が見れる。

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伝説の地 ミケイリヌ他の伝説の地
所在地 高千穂町押方
参考情報【1】 【日向国風土記 】 

国見ケ丘には、日向国風土記逸文と銅像が建てられている。
ひむかの風土記にいわく、「臼杵のこおりのうち、知鋪のさと、アマツヒコヒコホノニニギノミコト、あめの磐座を離れ、あまの八重雲を押し分けて、いつのち分きにち分きて、ヒムカの高千穂の二上の峯にあもりましき。時に空暗く、昼夜分かず、人、道を失い、物の色、分けがたかりき。ここに土ぐもあり。名をオオクワ、オクワと言う二人ありてもうしけらく。『すめみまの尊、ミコトの御手をもちて、稲千穂を抜きて、籾となし、四方に投げ散らしたまはば、必ず、明かりなむ』と申しき。時にオオクワらの申ししが如く、千穂の稲を手もみて、籾となして、投げ散らしたまいければ、即ち、空明かり、日月照り輝きき。よりて、高千穂の二上の峰と言いき。後の人、改めて、智鋪と名づく」(占部兼方「釈日本紀」巻の八より)

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