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●発展しつづける宮崎
近・現代の宮崎は、社会のしくみや人々の生活が大きく変化した激動の時代でした。ここでは、この時代を3つに分け、当時の文章や写真・映像・模型を使って分かりやすく紹介しています。

また、時代に関係なく1つのテーマで構成する「テーマ展示」や宮崎県ゆかりの人物を紹介する「日向の群像」のコーナーもあります。

全国的に分県運動が高まるなか、1880(明治13)年頃から宮崎県の再置を願う人々の運動が活発になりました。県会議員の川越進や藤田哲蔵を中心に分県運動が展開されましたが、嘆願書が却下されるなど、簡単には実現しませんでした。川越らはその後もねばり強く運動を続け、ついに議会で分県が承認され、1883(明治16)年5月9日宮崎県が再置されました。

召集令状
召集令状

戦争に召集されるときには赤い紙が使用され、通称「赤紙」とよばれました。この資料は田野町の河野ヤエ氏が旧満州国のハルピンへ看護婦として召集されたときのもので、1941(昭和16)年11月18日に日本赤十字社宮崎支部から発行されています。

写真は現地から持ち帰った、ハルピン第7部隊宮崎284救護班の兵士・看護婦たちと看護婦の勤務ぶりを示したものです。

昭和30年代の文化住宅と広場昭和30年代の文化住宅と広場

この住宅は、宮崎市内にすむ一般的な文化住宅を復元したものです。父と母、娘2人の4人家族です。

伊東マンショ
安井息軒
小村寿太郎
石井十次
若山牧水
伊東マンショ
安井息軒
小村寿太郎
石井十次
若山牧水
日向の群像

このコーナーでは、多くの少年少女たちに勇気と夢を与えた人々を紹介しています。紹介する人々は、それぞれの立場で、自分の力を精いっぱい世の中のために捧げた人たちでした。しかし、かれらが立派な業績をのこせたのは、自分の力だけでなく、かれらの力を信じてやまなかった宮崎県(日向国)の人たちの支えがあったことも忘れてはならないと思います。
◆見どころ◆
SP盤をきいてみよう
昭和時代のおもちゃ
昭和30年代住居



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