トップページへもどる

どんなところ? どんなところ?
総合博物館本館
総合博物館本館
西都原古代生活体験館
民家園
ご利用あんない ご利用あんない
イベントのごあんない イベント・展覧会・ 講座
よくある質問 よくある質問
ダウンロードサービス ダウンロードサービス
総合博物館の歴史 総合博物館の歴史
博物館友の会 博物館友の会
どんなところ?
西都原資料館
歴史展示室
●古代から近世を生きる
日向国(宮崎県)の庶民の暮らしを中心に、文化や風土がどのようにして育まれてきたかを豊富な映像や検索機器、音声機器等を駆使して紹介しています。戦国時代の日向国や江戸時代の小さな四つの藩とその姿、そして明治時代という新しい時代を迎えた宮崎県の近代化への歩みを目と耳と手で観覧できる展示を試みています。

南北朝動乱から続いた戦乱で、宮崎平野に勢力を伸ばした伊東氏と鹿児島を中心に領土を拡大してきた島津氏が日向の地をめぐって争うようになりました。

耳川合戦図屏風
耳川合戦図屏風
相国寺(京都府)蔵

1578(天正6)年日向支配をかけて、島津義久軍と、大友宗麟軍の戦う様子を描いたものです。屏風図は高城川から耳川に至る戦いをさして耳川合戦図屏風と呼ばれているようです。この地域は豊臣秀吉と島津氏の戦いの場にもなりました。

生活と信仰生活と信仰

中世になると交易・貿易も盛んで、瀬戸・常滑(現愛知県)や備前(現岡山県)などの国産陶磁器などが日向国にも伝わりました。

仏教は民衆の間に広がり、寺院が各所に建てられ、優れた仏像がつくられるとともに、五輪塔・石碑などの石塔群もつくられるようになりました。

小藩の幕末小藩の幕末

幕末ごろの日向国諸藩の財政は窮乏し、倹約令や産業の奨励に力を注ぎました。しかし、効果はあがらず、藩士への家禄などを削減し、佐土原藩では半分以上を、飫肥藩でも3分の1を削減しなければならないほどの苦しい藩の財政でした。

藩士たちのその苦しみは、のち、討幕運動にまで発展していきます。
◆見どころ◆
日向の戦国時代
宮崎県の誕生・宮崎県の近代化
山陰・坪谷村百姓逃散一揆



前へもどる

Copyright(C) Miyazaki Prefectural Museum of Nature and History 2003. All rights reserved.