新潟県に生まれ、少年時代は秋田県、朝鮮、宮崎市と転々とする。大正15年に旧制県立宮崎中学校を卒業し、翌年旧制山口高等学校に入学。中学時代から油絵を描き始め、高校時代にはドイツの新しい舞踊にも興味を持つ。高校を卒業しないまま新潟に移り、昭和8年に上京。昭和14年にドイツに行くのが目的で舞踊家に同行しパリに渡るが、第二次世界大戦が始まったためマルセーユで3年間を過ごす。昭和19年に捕虜としてとらえられ、抑留中に多くのデッサンを描き、絵は抽象へと向かう。昭和21年に帰国、翌22年に
[自由美術家協会]会員となる。昭和39年同会を退会し
[主体美術協会]創設に参加するが、平成2年にはこれも退会している。多摩美術大学で後進の指導にも当たった。平成9年没。