パリに生まれる。1895年、パリの装飾美術学校に入学。1902年に出会った
ピサロの影響で
印象派的表現の作品を制作。1912年には
キュビスムから発展した抽象的作品を発表した。翌年渡米した後は、機会の製図を思わせる無機質さを特徴とする作品を制作。第1次大戦中は、
デュシャンらと
ニューヨーク・ダダを創始し、バルセロナでは機関誌「391」を発行。パリでも運動を展開するなど、精力的に活動した。大戦後も継続して
ダダ運動に参加したが、思想の違いから脱退。1923年頃は
コラージュなどの技法に着手。1927年頃から二重焼き付けのような作品、晩年は再び抽象画を描くなど、頻繁に画風を変えながら制作を続けた。詩人としても有名である。1953年パリにて74歳で没。