イタリアのトレビーゾに生まれる。1906年から2年間彫刻家カルリーニのアトリエで働く。1914年
[ビエンナーレ]落選展、ローマの分離派展に出品。1929年モンザの工業美術高等学校の教職につく。1931年第1回ローマ・
[クァドリエンナーレ]で彫刻大賞を受賞し、公的評価を得る。1932年第18回ヴェネツィア・
[ビエンナーレ]で個展。1936年のミラノ裁判所の浮彫彫刻をはじめとして各種の公的委託制作に取り組む。1941年ヴェネツィア美術学校の教授に推挙される。1945年著書『彫刻-死語』を出版する。作品は
[象徴主義]から
[未来派]へ、やがて
[表現主義]、
[ロマン主義]へと様々な傾向の展開を示し、現代イタリア彫刻の重要な位置をしめる。1947年ミラノで没。