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旧報恩寺庭園

 ( きゅうほうおんじていえん )

登録者
種別 登録記念物
登録年月日 H27.1.26
所在地 日南市大字楠原
 旧報恩寺庭園は日南市内を流れる酒谷川の右岸、飫肥城下町の外側に位置する。法恩寺は飫肥藩主伊東氏の菩提寺で、天正6年(1588)に飫肥に入った初代藩主伊藤祐兵(すけたけ)によって創建された臨済宗の寺院であった。明治5年(1872)に廃絶したが、その後飫肥藩士族によって板敷村に祀られていた伊東氏の氏神八幡社が遷され五百禩神社となった。
 庭園は、東西に延びる現社殿の軸線上の南側に位置し、急傾斜の露出した溶結凝灰岩の岩盤及びその裾に広がる細長い園池を中心とする。飫肥地区の溶結凝灰岩はシラスが固まったもので、飫肥石と言われる。岩盤の高さは15mほどあり、そこに立石、三連の石橋などが配され、主要な景を成している。特に、立地を活かして岩盤に架けられた石橋は、独特の景観を形成している。近世の南九州地方の造園文化の発展に寄与した意義深い庭園である。

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