嶽之枝尾神楽(たけのえだおかぐら)
TakenoedaoKagura

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15分版 15min

2時間版 2hrs

【嶽之枝尾神楽】
  嶽之枝尾神楽は、椎葉村南部を流れる小崎川流域に位置する竹の枝尾日当集落にて奉納される。集落の主な生活源は、椎茸栽培、次いで畜産、林業である。民俗学の創始者である柳田国男が、法制局の参事官であった明治41年(1908)に椎葉村を訪れ、その伝承文化に触れたことで、翌年『後狩詞記(のちのかりことばのき)』を発表し、以後椎葉村は民俗学の宝庫として注目されている。当時、柳田を案内した中瀬淳(なかせすなお)村長宅には、昭和60年(1985)に「日本民俗発祥の地」の碑が建立された。「宿借(やどかり)」「注繩引鬼神(しめひききじん)」「星指(ほしさし)」など、全国的に類を見ない演目が多く、貴重な伝承と云われる。嶽之枝尾神楽は、集落の前面に見える杉木立に鎮座する嶽之枝尾神社、または民家で行われる。地内日当(ちないひあて)、日添(ひぞえ)、臼杵又(うすきまた)の3集落の氏神として崇敬されてきた嶽之枝尾神社は、元久2年(1205)の勧請と伝え、古くは平田(へいだ)大明神と呼ばれていた。神楽は、3集落の民家で輪番制で行われていたが、昭和43年(1968)に舞殿を改築してからは、主に神社で行われるようになった。「みこし神楽」と呼ばれる道神楽の保存継承の為に、不定期に民家での神楽も行っている。
  嶽之枝尾神楽には平祭りと三十三番の注連の大祭があり、移転後は神楽保存の為に3年に1度だった注連の大祭を、毎年12月第1土曜から日曜にかけて行うようになった。注連(しめ)は、青柴垣の外神屋(そとこうや)中央に高天原の祭壇を設け、その左右両側に御幣(ごへい)、紅白の反物、日月を表した御笠などで飾られる大宝(たいほう)の注連を6本ずつ、計12本立てる。
  保存会会員は約20名で、一部の演目では世襲制が残っている。稽古は「ならし」といい、10月中旬から週2回程行われる。激しい太鼓に静かな舞が特徴であり、ゴヤセキと呼ばれる女性達による神楽セリ歌と囃子が夜神楽を盛り立てる。

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