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宮崎神宮   ( みやざきじんぐう )

神武の日向時代の宮の跡で、孫のタケイワタツノミコトが創建したと伝わる。
南北朝時代の北畠親房の「神皇正統記」には、「神武天皇は、日向の宮崎宮におわしけるが、兄の神達、及び皇子、群臣に詔して、東征の事あり」と記している。 

「宮崎」は、宮の前という意味である。その宮とはどれかについて諸説(奈古、江田、皇宮屋、宮崎神宮)あるようである。

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伝説の地 ワカミケヌと高千穂の宮伝説の地,ミケイリヌ他の伝説の地
所在地 宮崎市神宮2丁目4―1
参考情報【1】 【神宮の森と郡】 

この辺りが、奈良時代から今日までずっと、宮崎の郡、そして宮崎郡と呼ばれてきた地域の中心であった。
昔皇孫が御くだりになってから、神日本磐余彦尊(神武天皇)までの宮居の地であった故に宮崎と言う。
(日向見聞録の中の、日向五郡の郡名由来より)

関連情報

  • 017 皇宮

    伝説の地 ニニギ・コノ花サクヤ姫伝説の地,ワカミケヌと高千穂の宮伝説の地,神武東征関連伝説の地
    所在地 宮崎市下北方町
    所在地情報 通称、皇宮屋こそ「宮崎の宮」、更には「高千穂の宮」とも言われるが、宮崎神宮から少し離れた、西北の方、平和台病院の近くにある。
  • 018 奈古神社

    伝説の地 ニニギ・コノ花サクヤ姫伝説の地・ワカミケヌと高千穂の宮伝説の地
    所在地 宮崎市南方町御供田1192
    所在地情報 宮崎神宮から北へ約3㎞の右側にある。田んぼの中の丘の森に見えるが、実は古墳である。
  • 081国見ケ丘

    伝説の地 ミケイリヌ他の伝説の地
    所在地 高千穂町押方

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