丹裳の小野						  ( にものおの )					
				
				
					
	
					
					日本書紀景行十七年に、「景行天皇が子湯の県に行幸して、丹裳の小野に遊びたまう時に、東の方を、見そなわして、左右に語りてのたまわく、『この国は、直に日の出ずる方に向けり』と。故に、その国を名付けて日向と云う」。
					
				 
				
				
				
				
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						| 伝説の地 | 
						景行天皇・ヤマトタケル伝説の地 | 
					
					
						| 所在地 | 
						西都市三宅 | 
					
					
						| 所在地情報 | 
						三宅神社のすぐ南の民家の庭に踏み石があり、その地と伝わる。小さな標識あり。現在は雑木が伸び、日の出ずる方向が見えないのは残念である。 | 
					
					
						| 参考情報【1】 | 
						【三宅神社と都萬神社】  
 
昔は西都の古墳祭りは、ニニギを祀る三宅神社とコノ花サクヤ姫を祀る都萬神社とで行っていた。 
三宅の地は、もと大尾と言った。宮を覆野大神宮と言った。それが、いつの間にかフクノと音読され、鎌倉初期の建久図田帳では、「福野宮」と書かれている。現三宅神社は、明治になってからの名称である。 |