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的野正八幡宮…… 弥五郎伝説(旧圓野神社)   ( まとのしょうはちまんぐう…やごろうでんせつ )

弥五郎とは誰か。最も有力な伝説は、七二〇年の隼人の乱で殺された隼人の首領の名と伝わる。大人弥五郎とも言われる。武内宿禰だという説まである。宇佐八幡の関連なので、おそらく、隼人の乱で、朝廷側として多くの隼人族を殺したので、祟りを畏れ、十一月三日の「放生会」に祀ることから始まったのであろう。山之口の的野、大隅の岩川、飫肥の田之上が弥五郎三兄弟として有名であるが、その他にも七人の弥五郎が知られている。すなわち、川南町の七股、清武町の木原、田野町の鰐塚、都城の三跨、山之口の人畚、有明町の挿棒、大隅桑原郡の稲積などである。 

ご神幸行列では、巨大な弥五郎どんが登場し、地域の安全と繁栄を願って奉納される神楽や郷土芸能で賑わう。

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伝説の地 景行天皇・ヤマトタケル伝説の地
所在地 都城市山之口町富吉1412
所在地情報 富吉小学校の交差点から東へ約500mの突き当たりである。

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