日向国分寺跡は天平13年(741)の聖武天皇の詔により全国に造営された国分寺の一つで、一ツ瀬川右岸の中間台地上に位置する古代寺院跡である。
これまでに昭和23年の日向考古調査団をはじめ、県教育委員会や西都市教育委員会が調査を行っている。平成7年から実施された発掘調査の結果、講堂や中門、西門、回廊等が確認され、伽藍中枢部の規模が東西80m、南北77m以上であることが明らかとなった。さらにその東側では、寺院に関連する掘立柱の建物群や寺域の区画施設があることも明らかとなり、寺域は東西150m、南北190mと想定される。
出土遺物には、多量の瓦類や畿内系土師器や墨書土器があり、その分析から8世紀後半に造営され、9世紀末には衰退したものと考えられる。
伽藍中枢部及び寺域範囲がほぼ明らかとなり、特に講堂などの遺構の残存状況は良好である。出土した瓦から、大宰府や九州地方の他の国分寺との関係が想定され、国分寺造営の実態や古代日向国の政治情勢を示す上でも重要である。