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錦原・五ヶ所・十ヶ所の戦い   ( にしきばる・ごかしょ・じゅっかしょのたたかい )

第十二代景行天皇が、熊襲征伐にやってこられた。綾の台地に錦の御旗を立てられたので、そこを後に錦原と呼ぶようになった。
景行軍は、台地の南の綾南川の北岸の十ヶ所に旗を立て、そこを後に十ヶ所と呼ぶようになった。一方、熊襲軍は南岸の五ヶ所に旗を立て、そこを後に五ヶ所と呼ぶようになった。この時急に豪雨となり、南岸に水が溢れ、混乱したところに景行軍が矢で追い討ちをかけた。それで、戦いは景行軍の大勝利になったと伝わる。 

錦原運動公園の辺りを錦原と言う。野球場から南に下ると、綾南川に出るが、その南詰めの西側が、今も五ヶ所という地名である。東側が昔の十ヶ所で、今は記念碑だけが残る。
伝説では、北岸と南岸とで戦ったのに、今は、どちらも南岸にある理由が、地元の人に聞いて分かった。昔は、橋の南詰めの辺りを川が流れていて、何度も洪水の被害にあったため、大工事によって、川の流れを変えたのだと聞いて納得した。

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伝説の地 景行天皇・ヤマトタケル伝説の地
所在地 綾町錦原

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