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展示情報

公開中の遺物

大窪第1遺跡(都城市)

 大窪第1遺跡は都城市高城町有水に所在し、大淀川右岸の河岸段丘上に立地する遺跡です。発掘調査の結果、縄文時代後晩期から平安時代までの多くの遺構と遺物が確認されました。なかでも、古墳時代の集落跡内では、竪穴建物跡4軒を確認し、そのうち1軒からは鞴の羽口と金床石といった鋳造関係の遺物がみつか りました。また平安時代の調査では、大量の土師器とともに土器焼成土坑や鞴の羽口、鉄滓、焼土といった生産遺構がみつかり、大淀川とともに暮らした人々の生活が明らかになるなど貴重な調査成果を得ることができました。

西下本庄遺跡(国富町)

 西下本庄遺跡は本庄高校の運動場整備事業に伴い発掘調査が行われました。本庄川左岸にひろがる河岸段丘の南西側の中段にあたる標高約35m位置しています。また、上位に広がる国富町市街地の段丘面には本庄古墳群が立地しています。
 縄文時代では、後期の竪穴住居跡が5軒みつかったほか、早期や晩期の土器が出土しています。古墳時代については、中期から後期にかけての竪穴住居跡25軒、掘立柱建物跡6棟がみつかりました。近接する本庄古墳群との関連が予想される集落です。古代では掘立柱建物跡12棟や南側に開口する方形区画溝の一部とみられる溝もみつかっているほか、国内外の広域的な交流をうかがわせる遺物が多数出土しています。中世においても大型の掘立柱建物跡や区画溝、豊富な遺物が出土していることから、古代から中世においては、公的な施設もしくは有力者の居館があった可能性があります。

下那珂遺跡(宮崎市)

 石崎川の左岸、宮崎平野を眼下に望む標高約40mの城ヶ峰台地南端(宮崎県総合農業試験場の敷地内)に位置しています。 弥生時代後期から終末期にかけての120軒あまりの竪穴住居跡がみつかった、この時期における県内有数の大集落遺跡です。注目される遺物として、県内最多となる約150点に及ぶ石包丁が出土しています。石包丁は収穫の道具とされており、ひもをかけるための穴があいていたり、えぐりがついていました。そのほかに青銅製の鏡(虺龍文鏡)の破片がみつかっています。

筆無遺跡(都城市)

 筆無遺跡は、都城市今町の大淀川に面した低地を西方に望む標高約150~155m前後の台地縁辺部に立地しています。この遺跡は縄文時代晩期から近世後半にかけての遺構が重複して営まれており、一部は古い遺構を破壊しています。調査の結果、古墳時代を除く縄文時代から近世後半までの遺構・遺物が数多く見つかりました。なかでもB区で確認された平安時代末期から中世初頭の掘立柱建物跡や居住空間を区画する溝、周溝墓などが注目されます。また、A区では中世の畝状遺構(畠跡)なども見つかっています。

テーマ展示 保存処理とは

 埋文センター分館では、発掘現場から出土した金属製品や木製品など壊れやすい遺物の保存処理を実施しています。今回の展示では、木製品のトレハロース法による保存処理などについて紹介しています。

「土器どきパズル」コーナー

 宮崎県埋蔵文化財センター(分館)では、展示室に「土器どきパズル」コーナーを設置しています。

 「土器どきパズル」とは、実際の土器などの遺物をもとにしたパズルです。展示会やイベント時には老若男女を問わず、とても人気があります。現在は、4つのパズルを設置しています。「どきパズル」は全部で10種類以上あり、定期的に入れ替えています。意外と難しく、子供だけでなく大人の方もはまるようです。

笹ヶ崎遺跡(都城市)

 当時貴重だった龍泉窯(りゅうせんよう)系青磁・白磁・天目茶碗をはじめとする陶磁器類がB区を中心として数多く出土しており、当地が特定身分者関連の場所であったと推測されます。また、古代の遺物として、D1区の包含層から出土した石帯の一部である石製銙具(かこ)の丸鞆(まるとも)の存在からも、古代段階より笹ヶ崎遺跡とその周辺地域が「地域有力層の居館跡」や「何らかの公的機関跡等を」形成していた可能性を指摘できます。

飫肥城下町遺跡(日南市)

 飫肥城とその城下は、日南市域を蛇行する酒谷川の流れによって取り囲まれた天然の要害に築かれています。発掘調査地点は、飫肥城大手門から東に約350mの場所にあり、標高約27mの河岸段丘上に形成された飫肥藩の上級家臣団の屋敷地が集まる十文字地区にあたります。発掘調査の結果、縄文時代から江戸時代、さらには近代まで連綿と続く人々の営みを発見し、この地域の歴史をひも解くための重要な成果を得る結果となりました。

 このうち、枯山水様式の庭地、かまど施設、生活雑器の廃棄坑などの発見は、飫肥藩政時代の武家屋敷の構造を知る手がかりとして重要です。また、戦国時代の島津氏と伊東氏との緊張関係を知ることのできる深く掘られた薬研堀(やげんぼり=防御に特化したV字の形をした堀)も見つかり、城下町形成以前の様子も判明しました。

前ノ田村上第2遺跡(川南町)

 前ノ田村上第2遺跡は、川南町南部の唐瀬原と国光原の二つの段丘面にはさまれた扇状地の端部(標高約60m)に立地しています。付近には平田川の支流が流れており、遺跡はこの小河川の氾濫原よりも少し高い場所にあり、耕地整備以前は周辺に湧水が多くみられたそうです。

 東九州自動車道建設に伴って、平成17年度と平成21年度に発掘調査を行いました。特に旧石器時代の遺物が多いことから、ここは、主に狩りで食料を得ていた人々にとって住みやすい場所だったようです。

現在の展示状況

平成30年6月の展示情報

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