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展示情報

公開中の遺物

舟川第2遺跡

 舟川第2遺跡は都農町の山麓部あたり、心見川とその支流沿いにつくられたせまくて小さい段丘上にあります。調査の結果、後期旧石器時代から縄文時代早期にかけての遺物や遺構がみつかりました。
 旧石器時代からは、火に焼けて赤くなった石(礫群)や、たくさんの石器類がみつかりました。なかでも全長16㎝の剥片尖頭器は、日本最大の長さを誇るめずらしいものです。縄文時代からは、動物を捕らえるために掘られた陥穴状遺構、調理の跡と考えられている集石遺構がみつかっていることから、ここで当時の人々が狩りを行い、同じ場所で調理もしていたと考えられています。

 

平底第2遺跡

 平底第2遺跡は、平底トンネルの東側、地形的には、平底集落の西~南東方向にのびる丘陵の斜面から谷部にかけての傾斜地に立地する弥生時代の遺跡です。
 調査では、円形竪穴住居跡が5軒確認されました。竪穴住居跡からは、縄文時代晩期の特徴を残す土器、石器、弥生時代の北部九州系の土器がみつかりました。竪穴住居跡に残っていた炭化物の分析から、竪穴住居跡は、今から2,300 年前の弥生時代のものとわかりました。
 竪穴住居跡の周りでは、赤色顔料の残る浅鉢や工字突帯文とよばれる文様のある土器、打製・磨製の石斧や石鏃などの石器が数多くみつかっており、水稲が伝わり始めた弥生時代、山々に暮らす人々の生活のようすを探る貴重な資料になりました。

 

青木遺跡

   青木遺跡は高鍋町の市街地から約2.5km、小丸川の右岸、標高24m~25m程度の丘陵先端に位置しています。
調査では、縄文時代早期から近世に至る遺構や遺物がみつかりました。縄文時代晩期の土坑からは、縄文土器の中に納められた石斧が3点、出土しています。
古墳時代では、5世紀から7世紀にかけての竪穴住居跡がみつかり、この地で集落が営まれていたことがわかりました。
 

塚原遺跡

塚原遺跡は、国富町の市街地から東に約4.5km、県道宮崎・須木線と南西に流れる本庄川と深年川の合流点にはさまれた標高約40mの塚原台地の東縁部と、台地下北東側に広がる沖積低地に位置しています。
発掘調査の結果、旧石器時代から中世にいたる遺構や遺物が確認されました。なかでも縄文時代草創期の赤彩(せきさい)土器の出土は県内では塚原遺跡のみで、貴重な発見です。

今回は、旧石器~弥生時代までの資料のみ展示しています。

 

大浦遺跡(都城市)

大浦遺跡は都城市の中心市街地から約8.5km、鹿児島県との県境付近に広がるシラス台地に入り込む狭い谷に面した丘陵(標高190~193m)に位置しています。

都城志布志道路建設(県道109号線バイパス区間)に伴って発掘調査されました。調査では、縄文時代早期(約8,000年前)の縄文土器、縄文時代晩期(約3,000年前)の竪穴住居跡と土器や石器、弥生時代中期(約2,000年前)の弥生土器、中世(紀元12~13世紀頃)の集落跡(掘立柱建物群)や円形周溝墓も見つかりました。

特に、円形周溝墓からは土師器の坏に加えて中国産の白磁碗も出土しました。お墓の形や副葬品のあり方から、紀元12世紀前半頃の遺跡周辺では、土地開発や経済活動に関わる有力な集団が存在したと考えられます。

百塚原古墳群(西都市)

宮崎県は、平成25~28年度にかけて県内に残る古墳の保護活用を進めるため、古墳本来の規模や形状・造られた時期などを把握する「重要古墳等保護活用推進事業」を行いました。
その継続事業である「みやざきの古墳保護・活用事業」では平成29~令和元年度の3年間、重要古墳等の調査(確認調査、墳丘測量調査、地中レーダー探査)、古墳データベースの作成(悉皆調査)、古墳の保護啓発活動を行いました。

今回の展示では、県内重要古墳の調査のうち、百塚原古墳群(西都市)資料を中心に、これらの事業成果を皆さんにわかりやすく説明しています。

百塚原古墳群は、特別史跡である西都原古墳群の西側の丘陵上に分布する古墳群です。

古墳群内からは国宝に指定されている金銅製馬具類(五島美術館蔵)が出土したとされており、宮崎県において特に重要な意味を持つ古墳群といえます。

今回の調査では、1号墳とその周辺および8・9・12・38号とその周辺について確認調査・地中レーダー探査を行いました。その成果および資料を展示しています。

 

※鉄製品は現在資料保護のため展示しておりません。

 

 

 

現在の展示状況

令和2年6月

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