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展示情報

公開中の遺物

筆無遺跡(都城市)

 筆無遺跡は、都城市今町の大淀川に面した低地を西方に望む標高約150~155m前後の台地縁辺部に立地しています。この遺跡は縄文時代晩期から近世後半にかけての遺構が重複して営まれており、一部は古い遺構を破壊しています。調査の結果、古墳時代を除く縄文時代から近世後半までの遺構・遺物が数多く見つかりました。なかでもB区で確認された平安時代末期から中世初頭の掘立柱建物跡や居住空間を区画する溝、周溝墓などが注目されます。また、A区では中世の畝状遺構(畠跡)なども見つかっています。

テーマ展示 保存処理とは

 埋文センター分館では、発掘現場から出土した金属製品や木製品など壊れやすい遺物の保存処理を実施しています。今回の展示では、木製品のトレハロース法による保存処理などについて紹介しています。

「土器どきパズル」コーナー

 宮崎県埋蔵文化財センター(分館)では、展示室に「土器どきパズル」コーナーを設置しています。

 「土器どきパズル」とは、実際の土器などの遺物をもとにしたパズルです。展示会やイベント時には老若男女を問わず、とても人気があります。現在は、4つのパズルを設置しています。「どきパズル」は全部で10種類以上あり、定期的に入れ替えています。意外と難しく、子供だけでなく大人の方もはまるようです。

笹ヶ崎遺跡(都城市)

 当時貴重だった龍泉窯(りゅうせんよう)系青磁・白磁・天目茶碗をはじめとする陶磁器類がB区を中心として数多く出土しており、当地が特定身分者関連の場所であったと推測されます。また、古代の遺物として、D1区の包含層から出土した石帯の一部である石製銙具(かこ)の丸鞆(まるとも)の存在からも、古代段階より笹ヶ崎遺跡とその周辺地域が「地域有力層の居館跡」や「何らかの公的機関跡等を」形成していた可能性を指摘できます。

飫肥城下町遺跡(日南市)

 飫肥城とその城下は、日南市域を蛇行する酒谷川の流れによって取り囲まれた天然の要害に築かれています。発掘調査地点は、飫肥城大手門から東に約350mの場所にあり、標高約27mの河岸段丘上に形成された飫肥藩の上級家臣団の屋敷地が集まる十文字地区にあたります。発掘調査の結果、縄文時代から江戸時代、さらには近代まで連綿と続く人々の営みを発見し、この地域の歴史をひも解くための重要な成果を得る結果となりました。

 このうち、枯山水様式の庭地、かまど施設、生活雑器の廃棄坑などの発見は、飫肥藩政時代の武家屋敷の構造を知る手がかりとして重要です。また、戦国時代の島津氏と伊東氏との緊張関係を知ることのできる深く掘られた薬研堀(やげんぼり=防御に特化したV字の形をした堀)も見つかり、城下町形成以前の様子も判明しました。

前ノ田村上第2遺跡(川南町)

 前ノ田村上第2遺跡は、川南町南部の唐瀬原と国光原の二つの段丘面にはさまれた扇状地の端部(標高約60m)に立地しています。付近には平田川の支流が流れており、遺跡はこの小河川の氾濫原よりも少し高い場所にあり、耕地整備以前は周辺に湧水が多くみられたそうです。

 東九州自動車道建設に伴って、平成17年度と平成21年度に発掘調査を行いました。特に旧石器時代の遺物が多いことから、ここは、主に狩りで食料を得ていた人々にとって住みやすい場所だったようです。

高樋遺跡

 高樋遺跡は、鹿児島県に隣接する都城市梅北町の台地の先端部に立地する遺跡です。調査の結果、縄文時代早期~近世にかけての遺構・遺物が確認されました。縄文時代前期~中期の縄文土器や、南九州に特徴的な突帯のある土師器がまとまった点数で出土しています。また、古墳時代中期~後期にかけての集落跡では、竪穴住居跡が8軒みつかり、そのうち4号、5号住居跡の2軒から、鍛冶(鉄素材の成形)を行うときに送風機として使用する鞴(ふいご)のために専用につくられた羽口や高坏(たかつき)の脚部を転用した羽口なども出土しています。このほか、古代から中世・近世にかけてのものと考えられる堀立柱建物跡や溝状遺構、道路状遺構、柵列なども多数みつかっています。高樋遺跡では、縄文時代早期から近世まで、人々が断続的に生活を営んでいたことが明らかになりました。

塩見城跡

 塩見城跡は、日向市を流れる塩見川北岸に接する丘陵上にある中世の山城です。曲輪(くるわ)、堀切や多くの堀立柱建物跡、土塁、石積遺構、井戸跡、溝状遺構、道路状遺構などがみつかりました。中世の遺物は、輸入・国産陶磁器を中心にみつかっています。青白磁の龍首水注や、土製聖人像、景徳鎮産の青磁小壺など、全国的に出土例の少ないものもありました。塩見城は、近くに細島港もあり、陸上・海上交通の要所に位置することから、流通や政治の重要地点であったと考えられます。調査は城域のほぼ全面におよぶ他に例を見ない大規模なもので、中世山城の全容がわかる貴重な資料となりました。近世の墓や陶磁器もみつかっており、廃城後は、生活の場や墓域となっていたことがわかります。

宮ノ前第2遺跡

 宮ノ前第2遺跡は、五ヶ瀬川を南に望む標高330mの丘陵の斜面にありました。本遺跡は、高千穂バイパス工事に伴い、平成元年度に発掘調査を行いました。旧石器時代・縄文時代の遺構は確認されませんでしたが、旧石器の遺物は黒曜石製の剝片尖頭器(はくへんせんとうき)、縄文時代は縄文土器や打製石斧(だせいせきふ)、打製石鏃(だせいせきぞく)などが見つかっています。

 弥生時代は竪穴住居跡7軒、遺物は弥生土器・石包丁・砥石・磨石(すりいし)・鉄器などが見つかり、古墳時代は竪穴住居跡8軒、遺物は須恵器・土師器(はじき)・砥石などの石器、鋤先(すきさき)・鏃(ぞく)などの鉄器、ガラス玉などが見つかりました。弥生時代の土器の中には、在地の土器以外にも豊後、肥後地域の土器などもあり、各地域との交流があったと考えられます。

現在の展示状況

平成30年11月の展示状況

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