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交差する歴史と神話みやざき発掘100年

持田古墳群
Mochida burial mounds

持田古墳群全景

持田古墳群全景 (写真提供:高鍋町教育委員会)

 古墳群は、現在の児湯郡高鍋町市街地の北、小丸川左岸の標高約50mの台地上、東西約約0.8km・南北約1kmを中心に展開している。前方後円墳9基・帆立貝形古墳1基・円墳75基の計85基が現存しており、消失したものを含めると90基以上の古墳から構成されていたと推測されている。
 古墳群は、古墳築造の大きな断絶期がなく、古墳時代前期段階の4世紀前半から古墳時代終末期段階の7世紀前半頃までの長期にわたり継続して造営されていたと考えられている。古墳時代前期段階の4世紀前半~中頃には、古墳群最大規模の前方後円墳である48号墳[墳長約85m]と1号墳(計塚)[墳長約120m]が造られ、特に4世紀中頃の1号墳(計塚)は、当時九州最大規模の盟主的な前方後円墳であったと推測されている。

伝 持田1号墳出土 獣文縁獣帯鏡

伝 持田1号墳出土 獣文縁獣帯鏡

 古墳群は、昭和初期に大規模な盗掘の惨禍に見舞われた。しかし、後の追跡調査によって、多くの出土品の所在が明らかとなり、現在の古墳群の構造解明に大きく寄与することとなった。古墳群からは、三角縁神獣鏡[伝48号墳]、獣文縁獣帯鏡[伝1号墳]、画文帯神獣鏡[伝23号墳・国重要文化財]、変形四獣鏡[伝23号墳・国重要文化財]、などの銅鏡類、金銅製馬具[伝53号墳]、単鳳環頭大刀[伝34号墳]、三葉環頭大刀[伝26号墳]など、畿内や朝鮮半島との関連が強く想定できる資料が数多く出土しており、日向灘を海の道として飛躍していた当時の首長の姿が推測される。
 古墳群は1961(昭和36)年に国指定史跡に指定されている。

所在地 児湯郡高鍋町大字持田字鬼ヶ久保ほか
交通手段 電車 JR日豊本線「高鍋駅」からバスまたはタクシー利用
バス 宮崎交通「高鍋バスセンター」より都農・日向方面
バス停「坂本」あるいは「鬼ヶ久保」下車徒歩10分
自家用車 東九州自動車道「高鍋IC」より約5分
問い合わせ 高鍋町教育委員会社会教育課 電話:0983-23-3326

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