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交差する歴史と神話みやざき発掘100年

新田原古墳群
Nyutabaru burial mounds

新田原58号墳(百足塚古墳)

新田原58号墳(百足塚古墳)
(写真提供:新富町教育委員会)

 現在の児湯郡新富町西部の一ツ瀬川左岸の標高約70~90mの台地上、東西約5㎞・南北約2㎞の広範囲に分布している。古墳群は、祇園原・塚原・石船・山之坊の4つの古墳群(支群)から構成され、前方後円墳22基・円墳174基・方墳1基の計197基が現存しているが、1939 (昭和14)年に削平された前方後円墳3基をはじめ、後世に削平された古墳が数多く、200基以上の古墳が存在していたと推測されている。
 古墳群は、古墳時代前期段階の4世紀代から造営されるが、一ツ瀬川対岸台地上の西都原古墳群において古墳の造営が低調となる古墳時代後期段階の6世紀代に多くの前方後円墳を造営する。

新田原58号墳(百足塚古墳)出土 人物埴輪

新田原58号墳(百足塚古墳)出土 人物埴輪
(写真提供:新富町教育委員会)

 祇園原古墳群に属する百足塚古墳(新田原58号墳)は、6世紀中頃の築造とされ、墳長82m、横穴式石室を埋葬主体部とする前方後円墳である。特筆すべきは、新富町教育委員会が史跡整備の一環として行った発掘調査において、墳丘からは円筒埴輪が、墳丘西側の周堤部分からは人物・動物・家などの多種多様の形象埴輪が出土した。
 意外なことに、全体像の判明する人物埴輪は宮崎県内初の発見である。百足塚古墳で確認された形象埴輪の構成内容は、継体大王陵の可能性が有力視される今城塚古墳[大阪府高槻市]との共通点が多く、新田原の台地上に新しい畿内勢力と連動した日向の新勢力が誕生した可能性が考えられている。
 古墳群は「新田原古墳群」として1944(昭和19)年に国指定史跡に指定されている。

所在地 児湯郡新富町大字新田字祇園原ほか
交通手段
百足塚古墳まで
電車 JR日豊本線「日向新富駅」からタクシー利用(15分)
JR日豊本線「佐土原駅」からタクシー利用(25分)
バス 宮崎交通「西都バスセンター」から「高鍋バスセンター(一丁田経由)」方面
または「高鍋バスセンター」から「西都バスセンター(一丁田経由)」方面
バス停「祇園原」下車 徒歩10分
自家用車 東九州自動車道「西都IC」から約15分
問い合わせ 新富町教育委員会生涯学習課 電話:0983-33-1022

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